14/05/12

■ タイムカプセル

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Font : OLDNEW (Free Font)


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Essay
タイムカプセル


Essay : 100722
Photo : 070708



絵を夢中になって描いていたあの頃。
今思い返すと、とても充実していたあの頃。

僕は15歳だった。
普段は仲の良い友達とほんのちょっとの悪戯をして遊ぶ、
どこにでもいるような中学生だった。

と言っても友達は多い方ではなかった。
だから彼等と遊べない日は、必ずと言っていいほど、真っ白なノートに向かっていた。
特に夏休みや冬休みに、勉強そっちのけで机に向かっていたことを思い出す。

それは画用紙やキャンバスに描くような絵ではなく、
ラクガキといったほうがいい。
大学ノートやメモ帳サイズのノートに
鉛筆でなぐり書きで描いたような下書きだ。
そして誰かに見せる絵ではなく、未来の自分に見せる絵だ。

その時に思っていたのは、
「今はデッサン力もないし、知識や経験もない。」
「いつか自分が歳をとった時に、今描いているこのラクガキを下地にしたい。」
「そしてその時の知識や経験、デッサン力で、この絵たちを完成させたい。」
そう考えていた。

あれから30年近く経ったいま、そのことをたまには思い出していたが、
「ちゃんと昔の自分に向き合ってみよう。」と、
久しぶりに見てみた。

もうどれもはずかしい絵ばかりだ。
「あの時何を想ってこれを描いているのだろう?」とか、
「これは他人には見せられない内容だな。」とか、
「すごくつまらない絵だ。」とか、
絵そのものは、いまの自分には何も参考になるものはない。
この歳になれば、感じるものや、見ている世界の広さはケタ違いに別物であり、
過去の自分とは別人に成長しており、
この絵たちを下地になんて幼稚過ぎてできるわけがない。
あたり前の話だ。

しかし、過去の自分に礼を言いたくなった。
この100枚近くある、ノートの端が茶色く、すり切れた絵たちを見ていて、
はずかしい気持ちと同時に、あの頃、真剣に何かに打ち込んでいた
純粋な気持ちが沸き上がってきて、込み上げるものがあった。

これは、過去の自分が未来の自分に宛てたタイムカプセルのようなモノだった。
他人には決して理解できる代物ではないが、自分自身だけに理解できる喜び。

まさか自分が描いた絵で涙が溢れてくるなんて思いもしなかった。


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13/03/23

■ 頬杖つくあのコ

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Essay
頬杖つくあのコ


Essay : 100223
Photo : 100221


頬杖つくあのコ。どこにでもある電車に揺られながら。
お気に入りのカメラを持って、海に行く。

日曜の朝は、時の流れがゆっくりと感じられるから好き。
晴れた日には、窓からこぼれる日差しが柔らかくて落ち着くの。
あの海へは終点まで。冬だから誰もいないの。
ひとりになれたりするから、外をボーっと眺められたりするんだよ。

ある日ね。4人家族が乗ってきたの。その車両には、ワタシとその家族だけになってね。お父さんは新聞読んでて、小さな娘さんを膝の上に座らせながら、新聞記事を指さして小さな声でお話ししてるの。お母さんは隣の一番前に座ってて、座席の上に立ちながら景色を眺める息子さんを抱えてニコニコしてるの。ワタシはその向かいに座って見てたんだけど、とっても幸せそうだった。たぶん小学校低学年ぐらいだと思うんだけど、息子さんの目はお父さんそっくりだし、お父さんに甘えながらべったりくっついてる娘さんはたぶん次女で、あのお母さんが子供の頃はこんな感じでかわいらしい少女時代だったんだろうなぁ。と思って。。。そんなことを想像してたら、アナタの少年時代を知るには男の子。ワタシの少女時代を知りたいんだったら女の子が産まれてくればいいと考えちゃって。。。あ、こんな話イヤよね。ゴメンね。あんまりにも幸せそうな家族だったから、つい。

そう言って、頬杖ついて窓の外を眺めていたキミ。
冬の日差しが淡く照らす横顔を眺めながら、
ボクとキミとの間に産まれてくる子供を黙って想像していた。
とても穏やかで柔らかな空間だったことを、今でも鮮明に覚えている。


* * *


あれから数年が過ぎた、冬の晴れた日曜日。

頬杖つくボク。誰もいない電車に揺られながら。
お気に入りのカメラを持って、海に来た。

あのコの面影を追いに、ひとり。



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12/05/09

■ 聞こえない道で。

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Font : COM4t Drify Light (Free Font)


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Can't here on the street. 1204??



この前バイクで走っていた時に、10年くらい昔に見た光景を思い出したので、
ここにエッセイ風味で書きとめておきたくなった。


* * *


聞こえない道で。


Photo : 1204??(何日だったかな?)
Essay : 120509


あれはこのくらいの時期で、新緑が眩しい雲ひとつない快晴の昼下がり。とてもきれいに整備された真新しい二車線の道で私は車に乗って信号待ちをしていた。ここは街はずれで近くに赤十字病院があり、交差点の向こうに赤十字病院前のバス停がある。私は何気にバスが乗降するために停車しているのを見ていた。信号待ちだからほんの数分だろう。そんな数分の事なのに、十数年経った今でもとても心に残っている光景を目にした。

信号待ちに目にしたと書いたが、正確には信号が赤になる手前から前方を走るバスを気にしていた。バスは信号が赤になる前に交差点を過ぎ去り、私は交差点の手前で赤になったので、信号待ちの状態になった。ハザードを点けながら乗降させるためバスは停車し、何人かが降りてくる人々を見ながら待つ3人がバス停にいた。ひとりはボストンバッグぐらいあるカバンをかかえた腰が曲がったおばあさん。もうひとり、いやふたりといった方がよさそうなカップルがいた。降りる人々はたぶんほとんどの人が病院へ向かうのだろう。その人達が全員降り、その3人が乗る番になった。おばあさんがボストンバッグぐらいあるバッグを持とうとすると、そのカップルの男がさりげなくバッグを持って、おばあさんに「どうぞ」と手招きしている。おばあさんは頭を下げ「ありがとうございます」と言っているようだった。その男の行動が実に様になっている。背は180センチくらいだろう。髪はサラサラヘアーでジーンズ姿の笑顔がさわやかな青年。その横でニコニコ顔で見守っているかのような彼女は、細身でロングヘアーの女の子。赤色のロングスカートに白のブラウスで、スカートにあわせたかのような赤のメガネをかけていた。

私は車内でカーステを聞いているから外の音はほとんど聞こえていない。ましてや交差点の向こうにいるバス停での人の会話などまったく聞こえていなかったが、その3人の会話が聞こえてくるような光景で、とてもほほえましいやりとりであった。「なかなか良い若者もいるもんだな」と老人になったような気分で上から目線になりながら偉そうに見ていたのだが、おばあさんが乗った後、すぐにそのカップルも乗り込むのだろうと思っていたのだが乗ろうとしない。どうも彼女は見送りのようだ。何か会話をしているようだが、よく見ると口を動かすのみの会話ではない。手を巧みに使っている。「あ、手話だ」とすぐに気づいた。彼氏は口を動かしながら手話をしているが、彼女は口を動かさずに手話をしている。たぶん聞こえないのは彼女だけのようだ。そんなふたりを見ているとバスが発車しようといている。私は信号が青に変わり、バスの後ろについてバスの発車待ちになった。ふたりの顔がはっきりとわかるくらいに近づいたから見てみると、笑顔なのだが少しさびしそうにも映る。いくつかの手話をしているが、会話は聞こえないし私にはほとんどの手話がわからない。だが、最後に交わしたふたりの会話だけは、はっきりとわかった。というかそれだけは知っていた。

「好きだよ」の手話。彼氏がその手話をした後、とてもうれしそうに彼女が「好きだよ」の手の動きをする。そして彼氏が乗り込みドアが閉まる。彼女はさっきのうれしそうな笑顔から一転してさびしそうな顔に変わり手を振る。3歩ほどバスを追うように歩くがすぐにやめ、手を振っていた。私もバスを追うように彼女の前を走り去る。バックミラーに目をやると肩を落としたかような佇まいで、ポツンとひとり立っていた。

この光景はたぶん1分間もないだろう。とても短いショートストーリー。でもいつまでも心に残る映画を見たかのようであった。主役であるあのカップルに最優秀男優賞・最優秀女優賞をあげたいし、助演女優賞もあのおばあさんにあげたい。私が最初に気になったのは、あのおばあさんがいたからだ。

そして何よりこのシチュエーションが良かった。口だけの会話が成り立つカップルのやりとりであれば、私には聞こえない。しかし、逆に聞こえないはずの手話であったから、聞こえない私からその会話が聞こえた。たったひとつの言葉のみ理解できたのだが、それも良かったようにも思える。

道路の脇を桃色のツツジが固める中、ゆっくりと車を流した。
空はやさしい水色に近い、春らしい色。風はさわやかだ。
そして私はカーステから聞こえてくる音楽を消した。
無音ではないが音のない世界を想像する。
少しだけでも、彼女のさびしさを噛みしめてみたくなった。


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11/01/11

■ あの文字のような線

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Font : Quilline Script Thin (Free Font)



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遅まきながら、あけおめ。こんなカンジでたま〜に更新するので、ことよろ。
で、今年一発目はエッセイ風味で昨日あった出来事を書きまする。


* * *


あの文字のような線


Photo : 091024
Essay : 110111


 昨日の夕方、このクソ寒い中、スーパーへ食料を買いに行った。明日分の食料を買い、レジを通してリュックに買ったモノを詰め込んでいると、お母さんとカートに乗せられている小さな女の子が近付いてきた。そしてボクの隣にその子をカートから棚の上に乗せかえ、女の子を挟んでお母さんと一緒に詰め込み作業をする状態になった。それでたびたびその子と目が合い、ニコニコしていたんだけど、その子がおもむろに壁面ガラスに人差し指を向けた。この日もスーパーのガラスは寒さで曇っているので字が書ける。「何書くんだろ?」と思っていたら、字を書こうとしているんだろうけど、まだ文字を知らない年齢でぐちゃぐちゃな線だった。「ん?何かな?」のような顔をその子に無言で向けたらニコニコと笑ってくれた。ふたりでニコニコ顔になり、とてもほほえましい光景になった。

 幸せ気分のままその場を後にし、外に出て缶コーヒー片手にタバコを吸おうと思い、あの字の反対側にまわった。ガラスだから反対側からもあの字のような線が見られる。タバコを吸いながらぐちゃぐちゃな線を見ていると「は!」と忘れていた自分の過去が何十年ぶりに蘇った。そういえば自分も書いていた。文字が書きたいんだけど書けないから、ぐちゃぐちゃになった英語の筆記体のような線を書いていた。たぶんあれは保育園に行く前だから3才くらいだろう。親が仕事で使っている黒電話の横に置いてあるメモ帳に「これは ○○、これは○○」と言いながら、文字ではない線を書いていた。そんな無性に文字が書きたかった記憶も蘇った。

 現在、文字をつくることが好きで趣味を越えた趣味として、生涯の生き甲斐としてやっている。だからあんな小さな時から文字が好きだったことが嬉しくてたまらなかった。「この事を思い出させてくれてありがとう」と、あの子に感謝したい気分になった。

 オレンジ色から紫色へとグラデーションになった夕闇せまる寒空に、あの頃に書いていたあの文字のような線を脳内に描きながら帰る。空に誰にも邪魔されない、ボクにしか理解できないグラフィックデザインができた。


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10/11/28

■ Standing Still

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Font : COM4t Fine Regular (Free Font)


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「Standing Still」


真夜中には雲が覆っていて、
朝が来るのと同時に
雲が太陽から逃げていくように立ち去って行く。

風が吹く中で、陽の光を待つ。
ここは誰もいない山の中腹だ。
誰の視線も気にする必要はない。

何も無い空に陽の光が一直線にボクの目を突き刺す。
それを黙って佇む。ずっと。
地球が動く様を感じるためには、自分が微動だにしないのがいい。
しばらくすると目線から外れて頭上に行くのがわかる。
その時間の経過を愉しむ。

冬の朝はとても空気が冷たい。
震えが来るのを抑えながら、ただ佇む。ずっと。
体内が寒さで静止していられないことを脳内に指令を出している。
そんなことを思っていると、陽の光が熱を帯びてきた。

動かないことで動いていることを意識する。

Standing Still。ただ佇んでみた。
静止してみるだけで、
状況は常に動いているのが良くわかる。
そしてボクの心も動いていくのが良くわかるんだ。

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10/06/28

■ 雨のシーン

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Font : Quilline Script Thin (Free Font)



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Rain Scene. 090718




雨のシーン


シーン・1
昨日から降り続く雨の中、毎日見飽きている交差点を渡る。

シーン・2
安物の透明傘から通してみる、冷たい街角。

シーン・3
窓に付く、隣り合う雨粒が次第に重なりあい、
だんだんと大きくなる、キレイなようす。

シーン・4
次はどこに落ちるんだろ? と心弾ませた、実家で見たあの稲妻。

シーン・5
いきなり豪雨に見舞われた、花火大会。
みんなずぶ濡れなのに、なぜか笑顔だった。

シーン・6
傘をくるくるとまわしながら、
楽しそうに映画の感想を話す、横顔。

シーン・7
いつもより冷たくなっている、濡れた君の手を繋ぐ、安堵感。

シーン・8
あいあい傘を恥かしいと言っていたのに、
彼女と一緒に、一本のみの傘で歩く、学校の帰り道。

シーン・9
感情を停止しながら走り続けた、雨の高速道路。

シーン・10
雨あがりの非常階段。まぶしいほど反射する太陽光線。

シーン・11
階段を降りる後ろ姿。濡れたハイヒール。

シーン・12
もうあの雨の日に帰ることはできない。
そう思う、あの雨に似たシーン。


* * *


さて。あなたの想う、雨のシーンは?



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09/07/22

■ 雨の日と月曜日は


Rainy Days and Mondays - Paul Williams



雨の日と月曜日は、いつも憂鬱だった。

しかし今はそうでもない。
ブルーになってみるのも悪くはないものだ。

あの時の雨の日の憂鬱さや、月曜日の朝に感じた憂鬱さを
思い出してみるも乙なモノである。

* * *

私の家の玄関には、9本しか立てられない小さな傘立てがあるのだが、
そこに、もう捨ててしまえばいいのにと思われるほどの
茶色味がかった、どうでも良いように見える透明のビニール傘がある。

でも私にとってはどうでも良くはない。
他の新しいビニール傘なんかとは比べ物にならない、
大切なビニール傘である。

もう差すことはできなくなってしまったが、
いつまでも、いつまでも玄関に飾って置くだろう。

あの時の雨の日の憂鬱さや、月曜日の朝に感じた憂鬱さを
思い出させてくれるから。

今振り返れば、幸せだったんだなぁ。あの頃は。

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09/02/07

■ 映り込む横顔

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Light Reflection. 081016


ガラスに映り込んだ照明が、テレビ塔に向かって飛んでくるUFOみたい。
「これからの時代は宇宙人に支配されるかも?」
と、どうでもいいシャシンからつまらない妄想をして、
意味のないことをしたためる。

まぁ何にせよ、物事こんなようなものが良くあることで、
そんな真剣に考える必要もないことだってあるさ。

というのは、コレを撮影している時に
ひとりの女性がいたことを思い出したから。

ココは愛知県芸術文化センターの展望回廊で撮ってたんだけど、
おシャレした若い女性がひとり佇んでいたところに、カメラ片手に持ったボクがひょいとお邪魔したカタチになってしまった。といっても結構長い回廊で、彼女は奥にいたから最初はボクに気付いていなかっただろう。

平日の夕暮れに女性がひとりで寂しそうに夕日を眺めている光景って絵になるなとは思ったケド、なんか辛い事があったんだろうと思わせる佇まいだった。ちょっと不思議には思ったけど、気にせずパシャパシャどうでもいいシャシンを撮っていた。平日ということもあってか2人しかいない空間。それもひとりはテンションが低く、もうひとりといえばテンション高く動き回りながらシャシンを撮っているオッチャン。それが雰囲気を壊してしまったのか、スタスタとこちら側が出口になっているので近付いてきた。ボクはファインダーを覗くフリをして、ガラスに映り込む彼女の横顔をチラリと見た瞬間、ドキッとした。ガラスの映り込みでもわかるほどの泣き顔だったのだ。

なにがあったのかは知る由もないが、
まぁ何にせよ、そんな真剣に考える必要もないことだってあるさ。
いや、「泣くのも結構いいもんだよね」と軽く言えちゃうくらいの出来事だったらいいんだけど。

今どうしてるんだろうな。それにしても結構かわいかったなぁ。



08 Spring/Summer Image Movie - FRAPBOIS × 中田ヤスタカ(capsule)

彼がつくる楽曲は何故にいつもこんなに気持ちいいのだろう。
気持ちが晴れやかになってくる。
まさに春が待ちどおしい女の子の気分が表現されている。
「ヤツは宇宙人か?」といいたくなるくらい的確だ。
posted by KATAYAMAC at 06:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | Essay

08/12/04

■ Crazy Nights


loudness - Crazy Nights

ボクが若かりし頃は、バンドブーム全盛期。生まれ育った田舎の高校でも、みんながこぞってバンドを結成し、コピーバンドをやっていた。ライブハウスなんてものはなく、気の良いカラオケバーの店主が高校生のために昼間のみ開けてくれてそこでコンサートと名打って、友達を呼んで2・3組のバンドでやってたり、たまに大きなホールでやると聞いて行ったら、老人ホームのちょっと広いホールで、おじいちゃん・おばあちゃんと一緒になって、エレキギターをジャカジャカ弾いてるの聞いたりして、なんともロックとは無縁な雰囲気をかもし出していたりと、今思えばあの頃はみんな粋がっていたケド、「いい時代だったなぁ」と感慨にふけってしまう今日この頃に、この訃報は寂しいものがある。

このバンドを知ったのが、このコピーバンドを組んでるヤツと友達になる前の時だったと思うのだけど(もう20年以上も前の話だから)、そいつから「コレ聞いてみな」的なことを言われて、LPレコードから録音されたカセットテープを渡されたのが、この LOUDNESSの「THUNDER IN THE EAST」だった。当時のボクが聞いていたのはほとんどが邦楽で、アイドル歌謡が主だった耳には強烈な音の集合体で「うわぁ!何これ!」と拒絶反応を示すのだが、なぜかメロディが心地よい。曲が進むにつれ、だんだんドラムの音が胸の奥に響いてくるのが気持ち良く、いつしか泣くようなギターに痺れるような耳になっていた。全曲聞き終わったらまた1曲目から聞きだす。今で言うヘビロテだ。この頃にはまだこんな言葉はなかったように思う。次の日に、そいつのところへ駆け込み「スゲーいい!レコード貸してくれ!」と言って借りて、またこのLPジャケットを目の前にして、レコードプレイヤーからヘビロテで聞きまくっていた。。。

それが今はYouTubeのこの小さなモニターに移し出されたLPジャケットを見ながら、小さなノートブックパソコンを介して聞いているなんて。時代は変わりましたね、樋口さん。。。ボクは音楽的な事は今でもサッパリなので専門的なことは言えませんが、あなたが叩くドラムの音から脳内に移し出される風景が好きでした。もちろん、ギター、ベース、ボーカルが乗っかってのドラムなのですが、この重く襲いかかってくるような重低音は、今聞いても痺れます。。。良い音をあの思春期に聞かせていただき、ありがとうございました。

誤解を恐れずにいうなら、大きなくくりで、今でいうマキシマムザホルモンがメジャーになってヒットチャートを賑わしているのと似ているのかもしれない。あくまで大きなくくりで。。。このバンドにもいい意味で攻めていってほしいと願う。中心に向かって攻める姿は、いつの時代でも美しい。

* * *

昔を振り返るような話が長くなるようじゃなぁ。ヤダねぇ〜。
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08/05/18

■ 「未完成」って好きなの

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flowers 07/09/03

またまたちょっとエッセイ風味で思い出話をひとつ。

* * *

「未完成」って好きなの

この言葉を聞いたのがもうかれこれ30年近くも経つ、私が小学生6年生の時だ。卒業文集の最後に記す「私の好きな言葉」のところで、その当時好きだった女の子が書いた言葉だった。彼女の顔もおぼろげに思い出せるぐらいになってしまっているのだが、今でもこの言葉だけはずっと心の奥にひっかかっている。

卒業文集に印刷する色紙を取り囲みながら、みんなが輪になって騒がしく書いていた光景を思い出す。その時、私は彼女の横にくっつきながらどんな言葉を書くかずっと見ていた。実は自分はなんて書こうかずっと迷っていて、彼女が書く言葉をヒントにしようと思っていたのだ。しかし学年でトップクラスの成績の彼女が書く言葉は、私の頭脳では追い付かない言葉を書きはじめた。すごく素直で且つきれいな文字で「未完成」と。
たぶん「努力」とか「忍耐」とか「家族」とかもうみんなが書いていた言葉が来ると思っていた私には意表をつかれ、「なんで未完成?」とアホ面で聞いていた。

「なんか未完成って好きなの。完成したらもうおしまいでしょ?」

とまっすぐな視線で言われて「ふーん」としか返せない自分。おどおどしながら私は何をヒントにしていいかわからない。彼女が言っている意味がさっぱりわからなかったからだ。それで咄嗟に誰かが書いた言葉を見つけて同じ言葉をマネして書いた記憶がある。でもなんて書いたかはもう忘れてしまった。心にもないことを書いたのだから30年近くも経てば当然だ。でもこの時に交わした言葉や自分の気持ちは今でも鮮明に覚えている。人の記憶というのは何がインプットされ続けるかわからないものだ。

今、「あなたの好きな言葉はなんですか?」と聞かれれば「次に作るものが一番」と決めている。これはあの喜劇王チャップリンの言葉「Next one is better one.」をマネしているのだが、これも「未完成」と同じ意味を含んでいる。この言葉を知ったのが中学生の時だったから、もしかして彼女の言葉がどこかにひっかっていたから見つけた言葉だったのかもしれない。

私が初めて言葉について真剣に考えさせられた時だったと今になって思う。
posted by KATAYAMAC at 16:53 | Comment(0) | TrackBack(0) | Essay

08/03/29

■ 16と39は、ある意味変わっていない。

どうも自分は困った行動パターンを持っているようで、急に詩的なことを書きたくなる時がやってくる。これはただの弁解なのだが、普段はYouTubeでSakusakuでも見て笑ってるような輩なのに、なぜかブログに何か書き込もうと思うと、その裏腹な気分が噴出するのか、突然内面を吐き出したくなる時が来るようだ。

ついこの前、名古屋港にある藤前干潟という場所へ行ったので、上のデカデカシャシンにアップしたのだが、その時に自分が16歳の時に書いた詩を思い出した。この時は絵を夢中になって書いていた時だったので、自分の絵に対する考え方が凝り固まっていると偉そうに思っていて(16で何がわかるかっちゅーの)、遠くへ自転車こいである場所へ行って思ったことを、カッコつけて下の「詩のようなモノ」を書いていた。

「でも、今も全然変わってねーじゃん。オレ。」

と、そんなことを思いながら遠くにいる鳥たちを眺めながらふけっていた。ホントに成長しねぇーなぁ。




「起草(無題)」
Text : 14.July.1986.

Jackson Browneの曲を耳に残しながら、
少し人里離れたところへ着いた。
そこには巨大な雲と、その隙間から後光が差し、
高くそびえ立つ山脈を、淡く照らしていた。

とても心が和んだ。
そして息が詰まりそうになってしまった…。 何故…。
でも風はしなやかに流れていた。

一本の煙草をふかした。

子供の頃のことを思い出していた。
あの頃は、ただ自分がしたいことをして、
自由に、何も縛られず、
このような大自然の中で自分を主張して遊んでいた。
いつもそこには“自分”がいた。
今は違う。 何故なんだ。 何故。

ふと気付くと、風が目の前を通り過ぎていった。

そうか!
突然辺りが明るくなった。
風が教えてくれた。
風のように生きればいいんだ。
風が吹くままに……そうすれば……。

いつの間にか夕方になっていた。

風が強くなってきた。

“一本の煙草”と“理屈”が風に流されていった。

夕日が私を照らしていた。


* * *


16でタバコ吸っちゃーいかんだろ。オイ。


これがその曲。またまた懐かしのヒットソング。

Jackson Browne - Black and White


ジャクソン・ブラウン公式サイト。カックイイ。
「Welcome to Jackson Browne」
http://www.jacksonbrowne.com/
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08/02/13

■ スノーマンをつくりたがる男の子

前日のエントリーの「あの子」というのは、数週間前に本屋で出会った男の子のことです。
この出来事は、今後いい思い出として残しておきたいので、ちょっとエッセイ風味で書いてみようかな?

あの日は昼過ぎに目が覚め、カーテンを開けると眩し過ぎるほどの太陽光線が、熱を帯びずに部屋の中に入り込んでくるような昼下がりだった。外は意外に寒いだろうし、このまま部屋でのんびりテレビ三昧を決め込むのもアリだと考えたが、本屋へ行きたいことを思い出し、重い腰をあげて寒い中、自転車で10分くらいで着ける行きつけの本屋へ向かった。
この本屋は3階建てのちょっと大きな造りの本屋で、建物自体が古く、間取りが変わった構成になっている。だいたいの本屋さんはワンフロアーをいくつかの本棚で仕切ってカテゴリー分けをしているが、ココは間取りや段差で構成するといった具合だ。うまく伝えることができない自分が歯がゆいが、とにかくココの本屋は好きで良く行く。

1階には「児童書コーナー」という絵本とかがたくさん置いてある子供専用の部屋がある。ボクはその部屋の近くで建築にまつわる本を見つけ(タイトルは忘れてしまった)、さも建築に詳しいような顔をして読んでいた。

たぶん10分ぐらい読んでいたように思う。少し立ち読みが疲れてきた頃、ふと横を見ると小さな男の子が児童書コーナーから飛び出してきた。「やれやれ、本屋で走っちゃいけないよ」と内心思いながらまた本を読もうとすると、その男の子が「雪ダルマ作ってあげよっか?」と、その部屋の奥にいる誰かと大声で話している。すると母親らしき人が「こっちに来なさい!」とその子を叱りつけるように言っているが、その部屋から出ようとしない。たぶんもう一人お子さんがいて手が離せないようだ。
「雪ダルマかぁ」と脳裏をかすめ、その子が持っている絵本を見ると「スノーマン」をしっかりと握りしめていた。ボクが大好きな話だ。「へぇ〜」とその子の顔を見たら目が合ってしまい、お互い気まずい雰囲気になった。するとたぶん本屋ではしゃいだ事がまずかったと思ったのだろうか、それともおじさんに睨まれて(睨んではいないが)間が悪くなったのか、ボクの方へそろそろと近付いてきて「雪ダルマ作ってあげよっか?」とボクに向かって言ってきた。「おっちゃんにはいいや」とその子の目線までおりて言うと「雪ダルマつくれるよ!」とまだ言ってくる。「すごいね〜」と応えてあげるとうれしそうに笑顔で「今度作ったの見せてあげる!」と言って元気よく走り去っていった。

でも最近、この辺りで雪が積もったという記憶がほとんどない。積もっても雪ダルマが作れるほど積もるのは郊外ではあったが、都心部ではなかったと記憶している。だからあの子には可哀想だが今年はスノーマンの話のように自宅の前に雪ダルマを作るのは難しいだろうなと思っていた。

そしてこの出来事を忘れかけていた日、またあの日と同じようにカーテンを開けると銀色の世界が広がっていた。「うわ〜スゲ〜」と思わず声が出てしまった。前日にテレビやネットで天気予報を見ていなかったので、驚きは倍増した。

この雪景色を見て、あの時の「今度作ったの見せてあげる!」という言葉が浮かび、なぜか約束を守ってくれたんだと勝手に解釈した。雪ダルマではないけれど、あの男の子に雪を見せてもらっている気分になったのだ…。本当にキレイだった。「これから元気にスノーマンを作って、あの時ボクに見せてくれたあの笑顔で、うれしそうに母親に見せるんだろうなぁ。」と、思いを馳せながら見る雪景色は格別で、とても幸せな気持ちになった。


* * *


この本屋というのは「正文館本店」のことです。
Webサイトはこちら↓
http://www.shobunkanshoten.co.jp/honnten/honten.htm

そして「スノーマン」。いい話だ。
この空を飛ぶシーンでいつも泣いてしまう。



"The Snowman" - "Walking in the Air"

posted by KATAYAMAC at 05:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | Essay

07/07/18

■ 39

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今日は台風が去って、台風一過となった休日。
念願のデジタル一眼レフカメラを買いに中古屋へ。新品を買う余裕は今のボクにはない。買ったのは「OLYMPUS E-500」。それもレンズキット。
故障もなくキズもない良い買い物をしたと思っていたら英語版だった。バカだねぇ、そりゃちょっと安いハズだ。でも、もしかしたらどこかで設定を変えられるかもといろいろと触ってみたが、わからずじまいの夏の午後。

それでもうれしくてカメラを首からぶらさげて自転車でブラブラと写真散歩。
もう夕方の4時になろうとしているが、まだ陽は高い。頭にタオルを巻いて汗ダクダクになりながら、どうでもいいようなものをいろいろと撮ってはみたが。。。いいカメラを手に入れても、撮る人間の気持ちがノってない写真なんて面白くもなんともないんだなと、そんなシャシンを見て思う、風が心地よくなった夕方。

このカメラを使い倒して、到底「写真」とはいえないシャシンばかりを撮ろうと思う。でもいつかは誰かに「いい写真」と言われるようなものを撮りたいとボンヤリ思った、39才になったばかりの夜。
posted by KATAYAMAC at 18:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | Essay

07/06/09

■ 変化してゆく「或るカタチ」

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目的地へ着いたものばかり見せても、見る側は面白くないのではないか。
見る側は目的地へ向かう過程も見たいものだ。
もしかしたらそちらの方が重要なのかもしれない。

そしてもっと見たい、知りたい事は
そこへ向かう動機と、その過程で感じた
伝える側の「思い」だ。

時代もあるのかもしれない。
今は特に人の気持ちをえぐったものが
もてはやされる時代だから。

* * *

「或る」を「旅の」に変換。

旅行写真で「ココ行ってきました〜」とそこの風景写真をただ見せられても面白くないよね。
それより土産話のが聞きたいし、そこがどういった所だったのか?とか、あと、なぜそこへ行きたかったかを聞きたいよね。
なんか思わせぶりな話がフツウな話に変換されちゃうね。

そういや最近、旅してないなぁ。というか旅らしい旅といったらいいのかな?
「旅らしい旅」をうまく説明なんてできないけど。
ニュアンスで伝わってもらえるかな?と。
このニュアンスで伝えようとするのも時代だよね〜。

* * *

「或る」を「人生の」に変換。

成功した姿をはっきりと想像することが良いことは解る。
そしてそれを口に出して第三者に伝えるのも良い事なんだろう。
でもどういう過程を経て成功するかを想像したり、
誰かに伝えたりする事はもっと良い事だと思う。

なんてまたこんなことを書いてる自分は
なんか岐路に立ってるように見せてるね。
というかそう思われてるね。

* * *

「或る」を「広告の」に変換。

広告をどこに定義するかによるんだけど、
そんなことを主観的にもできそうにないので、
そのままいっちゃうんだけど、
広告もコレにあてはまるんじゃないかと。

できあがりばかり見せていても
もうあきられてるんじゃないかな?

広告を作っていく過程で感じた「正直な思い」を広告主が語っちゃえば、広告がもっと面白くなるのではないか。
もうそろそろ広告主のホントの気持ちを見せてもいいんじゃないかな? だいたいの人にはバレてんだし。そう思いません? 広告制作カンケイのみなさん。

今のボクには到底そんなチカラも、ましてやそんな広告をプレゼンできるようなクライアントもいないので、そんなヤツのいうことを聞いてもらえそうもないですが。あはは。

いや、もしかして近いモノならある? ポリポリ。
posted by KATAYAMAC at 00:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | Essay

07/04/29

■ 揺れる天気と気持ち

突然逃げるように東京へ。

先ず、以前から好きなサイト、�aurora.photographの青柳圭介さんの個展「写真と時間」を見に幡ヶ谷にある�hanairo cafeというところへフラリと行ってみた。
ボクがそこへ着いたと同時に急に雨が降り出し、なんだかボクが雨を連れてきたような感じになってしまった。突然の気の迷いのような天気。ボクの気持ちと一緒だ。

青柳さんはホントに背が高かった。そして想像してたイメージよりも増して優しい人だった。本当はもっとゆっくり写真でも見ながら写真談義でもしたかった。それとボクだけテンション高くて浮いてしまったり、アイスコーヒーを食い逃げならぬ飲み逃げしそうにもなり、何やってんだか。
証拠写真をと青柳さんを撮ろうと思ったら、またデジカメが拗ねてしまい動かなくなってしまった。またまた何やってんだか。変わりにハズカシイオヤジ顔を撮ってもらった。たぶん彼のサイトにアップされることになるでしょう。

そして青柳さんの顔を目に焼き付けて「また会いましょう!」と握手。今度はボクが個展をして青柳さんを迎えることができればいいなぁ。必ずいつかまた会いましょうね。

それから友人に会いに目黒へ。駅前のタリーズで近況を。彼もボクと一緒で大変そうだ。「自由」「逃げる」「依存」「恐怖」のキーワードで宗教的にならないように砕いて話し合ったように思う。4つ年下のヤツから「片山、グズグスする必要なんてどこにもないゾ」と言われ、「偉そうに」とボクは笑い、彼はまたそのまま会社へ戻って行った。ヤツは大丈夫そうだ。背中を見てそう思った。

その時の空を見上げたら、晴れ間が見え夕日がボクを差していた。今日はボクの気持ちを表すような天気だ。

次にまた東京に住む人に会おうとケータイを手に連絡しようと思ったが、何も言わずに急に来たというのもあって気持ちがまた揺れ、そのまま日帰りで名古屋に。このままの気持ちで帰りたくなった。急に寒くなり「このまま帰れ」と言われているようだった。

今度は4日に先輩の個展を見に岐阜だ。

今はたくさんの人のパワーをもらいたい。
posted by KATAYAMAC at 22:58 | Comment(4) | TrackBack(0) | Essay

07/04/11

■ 結果ではなくプロセスが大事

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どこに始点があったのかわからずに、同じ終点を見ていたのかもわからずに、人は皆、ひとつの線上を一緒に辿ろうとする。

「結果ではなくプロセスが大事」とあの日、君は言ったけれど、僕は君の話を聞かずに、幸ある終点をふたりで探したいと考えていた。

でも心のどこかで男と女の思考の違いに気付きはじめていた僕は、「男が描く理想の探し方」を知ってほしいと子供のように駄々をこねたいだけだったのかもしれない。ただやみくもに幸せを探すより、行くべき理想を探してから歩こうよと---。
今となっては「そんな見えない未来に頭を悩ませる前に、目の前にある幸せになぜ、あるがままに楽しもうとしなかったのか?」

あの頃の僕には始めから幸せのカタチは一緒にはならないことを知らなかった。またそれを不幸とどこかで思っていた。

今思うことは、いや願うことは、男と女の観念が違うからこそ幸せの数が増えるはずで、終点に思いもよらなかった幸福感をふたりが感じていればいいと思う。でもあの日の僕は、君に振り回されていると思っていて、何もわからずにいた。

また、今頃になってもうひとつわかったことがある。
むずかしく考える必要なんて何ひとつなく、思ったように行動できる勇気と、目の前にある困難に対処できる力さえあれば、そんな事に頭を悩ませることはしなくていいことを。そして女にとって男に求めるのはそういうことなのかもしれないと。

* * *

また昔やっていたサイトで書いていた詩のように、内なる気持ちを書いてみたくなった。突然こういう気持ちがふとやってくる。
posted by KATAYAMAC at 17:14 | Comment(2) | TrackBack(0) | Essay

07/01/19

■ 月が笑ってる

続きを書くのが1日遅れになってしまいました。
この話は以前サイトに2001年ぐらいに載せてたもので、8年前に書いたエッセイです。



月が笑ってる

Essay : May. 4. Mon. 1999.
Essay by Hideki Katayama


4年程前のことになるかな。
夜8時頃、自転車でいつもより遠くへ行って、あまり知らない道を走っていた帰り道のこと。突然、小さな女の子がひとり「すみませーん!」と声をかけてきた。かなり慌てている様子で「すみません。加藤病院はどこですか?」と訪ねてきて、びっくりして自転車を止めて立ってみると、私のへそあたりまでしかない、見た感じ小学生に成るか成らないかぐらいの小さな女の子が、こんな暗い夜道にひとりでいるなんてどういうことなんだ。しかも病院を探しているとは…。

始めて通った道でもあるし、最近、病院にお世話になったことなどない私にとって
知る筈もなく、「わかんないなぁ。ごめんね。」とそのまま立ち去ることもできたが、今にも泣き出しそうな寂しい目を見ると、そんなことはできなかった。誰かに聞こうと思い、辺りを見回すと小さな家電屋があったので、「ちょっとわかんないけど、あそこの電気屋さんに聞いてみヨ」とその子の手を引き聞いてみることにした。店の女主人が「その大きな公園沿いを歩いていった所にありますよ」と教えてくれたが、夜も遅いしひとりで行かせるには危ないと思い、私もついて行くことにした。

「お父さんかお母さんのお見舞いに行くのかな?」と訪ねると、
「ううん、今日はみんなで焼肉食べに行くの。」
「それで、加藤病院で待ち合わせしたんだけど、バス停間違えちゃって。」
「昼間、よくバスに乗るんだけど、夜だと真っ暗でわかんなくなっちゃった。」
と、事の経緯をちゃんと教えてくれた。
また、なんでこんな小さな女の子をひとりでバスに乗せて、しかも、どうして病院で待ち合わせをしたんだろうと、疑問が沸き上がってきたが、「バス3回も乗っちゃった。」と時計を見ている。「じゃぁ、お母さん、加藤病院でずうーと待ってるんだ。」と言うと、「お母さん、心配してるかなぁ。心配してるよネ?」と、私の目を覗き込みながら、また、寂しそうな目で、涙いっぱい浮かべて聞いてくる姿が愛らしく、「そりゃぁ、心配してるよ!」と私は、自分の冠っていた帽子を、その子にそっと冠せた。
寂しさと不安を取り除く為に、お母さんに会えるまでの間、いろんな話をした。どこに住んでいるのかとか、最近学校で流行っていることとか、好きな男の子はいるのかとか、好きな食べ物の話とか、いろいろと…。

まだ、春にならない雪でも降りそうな寒い夜道をふたりで歩く。
こんな小さな女の子と歩くなんてことが、今までなかった私にとって、
とても新鮮で、とても不思議な感覚だった。

「あっ!あれだぁ!」とその子が指した向こうに加藤病院の看板が見えてきた。なるほど、このくらいの大きな病院だったら、自分の娘もわかるだろうと、この子の母親も思ったのだろう…。

病院の目の前に近づいた時、ふと、看板を見上げると、
大きな満月が、その病院を照らすように輝いていた。

「うわぁ、今日は満月だ。」と私が指さすと、「月が笑ってる」とその子が呟いた。
やはり子供の感性はすごいなと思いつつ、子供の目にはそういう風に見えるのかとも思いつつ見上げると、えっ!と自分の目を疑った。もう一度、良く目を凝らして見ると、本当に笑ってる。微笑んでいるように見える。それも、頭を少し傾けながら、やさしく…。
「本当だぁ、お月さんが笑ってる。」
「お月さんに向かって歩けば着いたね。」
と、自然にそんな言葉が出ていた。すると、少しはにかみながら、
「お月さんに笑われちゃった。」
とその言葉を残し、「ありがと。バイバイ。」と私の帽子を渡して、交差点を走り抜けていった。交差点の向こうに母親らしき人がその子に向かって手を振っている。私が軽く会釈をすると、深々とお辞儀をして、その子を抱えて去っていった。

何とも不思議で、可愛く、ピュアな体験をした出来事を思い出した。
私にとって“月”と“子供”というのは、いつもセットになって思い出に残っている。
不思議だ。
多分、ふたつとも希望とか未来とか、
心のどこかでそういったものを願っているからかもしれない。

今日も月が笑っている。

* * *

この話を書いたのが8年前で4年前のことを書いているということは、もう12年前の出来事ということになる。とすると、あの女の子ももう20才ぐらいになってるってことか。なんだか信じられない。自分も歳とって頭が堅くなる筈だね。

でも、月が笑ってるように見ることができる「ピュアな部分」は今でも残っててほしいものだ。
posted by KATAYAMAC at 12:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | Essay
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