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Essay
タイムカプセル
Essay : 100722
Photo : 070708
絵を夢中になって描いていたあの頃。
今思い返すと、とても充実していたあの頃。
僕は15歳だった。
普段は仲の良い友達とほんのちょっとの悪戯をして遊ぶ、
どこにでもいるような中学生だった。
と言っても友達は多い方ではなかった。
だから彼等と遊べない日は、必ずと言っていいほど、真っ白なノートに向かっていた。
特に夏休みや冬休みに、勉強そっちのけで机に向かっていたことを思い出す。
それは画用紙やキャンバスに描くような絵ではなく、
ラクガキといったほうがいい。
大学ノートやメモ帳サイズのノートに
鉛筆でなぐり書きで描いたような下書きだ。
そして誰かに見せる絵ではなく、未来の自分に見せる絵だ。
その時に思っていたのは、
「今はデッサン力もないし、知識や経験もない。」
「いつか自分が歳をとった時に、今描いているこのラクガキを下地にしたい。」
「そしてその時の知識や経験、デッサン力で、この絵たちを完成させたい。」
そう考えていた。
あれから30年近く経ったいま、そのことをたまには思い出していたが、
「ちゃんと昔の自分に向き合ってみよう。」と、
久しぶりに見てみた。
もうどれもはずかしい絵ばかりだ。
「あの時何を想ってこれを描いているのだろう?」とか、
「これは他人には見せられない内容だな。」とか、
「すごくつまらない絵だ。」とか、
絵そのものは、いまの自分には何も参考になるものはない。
この歳になれば、感じるものや、見ている世界の広さはケタ違いに別物であり、
過去の自分とは別人に成長しており、
この絵たちを下地になんて幼稚過ぎてできるわけがない。
あたり前の話だ。
しかし、過去の自分に礼を言いたくなった。
この100枚近くある、ノートの端が茶色く、すり切れた絵たちを見ていて、
はずかしい気持ちと同時に、あの頃、真剣に何かに打ち込んでいた
純粋な気持ちが沸き上がってきて、込み上げるものがあった。
これは、過去の自分が未来の自分に宛てたタイムカプセルのようなモノだった。
他人には決して理解できる代物ではないが、自分自身だけに理解できる喜び。
まさか自分が描いた絵で涙が溢れてくるなんて思いもしなかった。