07/06/09

■ 変化してゆく「或るカタチ」

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目的地へ着いたものばかり見せても、見る側は面白くないのではないか。
見る側は目的地へ向かう過程も見たいものだ。
もしかしたらそちらの方が重要なのかもしれない。

そしてもっと見たい、知りたい事は
そこへ向かう動機と、その過程で感じた
伝える側の「思い」だ。

時代もあるのかもしれない。
今は特に人の気持ちをえぐったものが
もてはやされる時代だから。

* * *

「或る」を「旅の」に変換。

旅行写真で「ココ行ってきました〜」とそこの風景写真をただ見せられても面白くないよね。
それより土産話のが聞きたいし、そこがどういった所だったのか?とか、あと、なぜそこへ行きたかったかを聞きたいよね。
なんか思わせぶりな話がフツウな話に変換されちゃうね。

そういや最近、旅してないなぁ。というか旅らしい旅といったらいいのかな?
「旅らしい旅」をうまく説明なんてできないけど。
ニュアンスで伝わってもらえるかな?と。
このニュアンスで伝えようとするのも時代だよね〜。

* * *

「或る」を「人生の」に変換。

成功した姿をはっきりと想像することが良いことは解る。
そしてそれを口に出して第三者に伝えるのも良い事なんだろう。
でもどういう過程を経て成功するかを想像したり、
誰かに伝えたりする事はもっと良い事だと思う。

なんてまたこんなことを書いてる自分は
なんか岐路に立ってるように見せてるね。
というかそう思われてるね。

* * *

「或る」を「広告の」に変換。

広告をどこに定義するかによるんだけど、
そんなことを主観的にもできそうにないので、
そのままいっちゃうんだけど、
広告もコレにあてはまるんじゃないかと。

できあがりばかり見せていても
もうあきられてるんじゃないかな?

広告を作っていく過程で感じた「正直な思い」を広告主が語っちゃえば、広告がもっと面白くなるのではないか。
もうそろそろ広告主のホントの気持ちを見せてもいいんじゃないかな? だいたいの人にはバレてんだし。そう思いません? 広告制作カンケイのみなさん。

今のボクには到底そんなチカラも、ましてやそんな広告をプレゼンできるようなクライアントもいないので、そんなヤツのいうことを聞いてもらえそうもないですが。あはは。

いや、もしかして近いモノならある? ポリポリ。
posted by KATAYAMAC at 00:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | Essay
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