でも、調べたワケでもないんだけど、西洋圏の言語は、相手(外部)に対して作られてる要素が大きいと思うし、東洋圏の漢字を扱う言語は、自分(内部)に対して作られてる要素が大きいと思うんだよね。すごくいい加減であいまいな論理から始まっちゃってるんだけど、英語って話すことの方が重要というか、発音から始まって、それからアルファベットに置き換えて、文字に表すような気がするんですよ。で、東洋圏の言葉(中国・日本)は先ず文字で表してから、発音するのではないかと。
この論理があっていれば、発音から始まる西洋圏の言語は、相手(外部)に伝えてから始まる言葉であり、文字で表してから始まる東洋圏の漢字を扱う言語は、内部的発想から始まる言葉ではないかと。
根源が内か外かなんて、きっぱりと証明できる話ではないと思うんだけど、いつも欧文と和文を混在させて文字組をしている職業柄か、なんでも原点を見つめるのが好きな性分なのか、そんなことを考えてしまうんですよね。
また、このことについては語りたいと思います。
仕事で疲れて、仕事以外のことを考えたくなった時に。。。なんてね。
そういえば、またseesaaがリヌってますね。今日見たらデザインが変わっててびっくらこきました。