09/07/29

■ そんな風景

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Scenes of Japan 2009. 090522


ちょっと前に撮ったモノ。
心地よい西風が吹く春の午後。
親子がずっと小さなボールの蹴りあいっこをしていた。
ふたりとも、とっても笑顔でした。

みんないろいろ言うけど、
日本って幸せなんじゃないかな。

そんな風に思える光景で、とても良い日でした。




5月22日に、たぶんこの辺りから名鉄電車を
西に向けて撮影したと思う。
posted by KATAYAMAC at 07:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | Diary

09/07/26

■ どうでも良いシャシン。

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Blue tanker. 090613


またまたタンカーのシャシン。どうでも良いシャシン散歩。




近くまで寄っていったら警備員さんに「写真はダメ!」と言われたので、この辺りから東に向けて撮影したものを大きくトリミングし、色補正して画像をアップ。この日はホントに暑かったけど、警備員さんのあの制服はものすごく暑いだろうなぁ。顔見たら汗でビッショリだもんなぁ。と思って、警備員さんの目の前でペットボトルをガブ飲みして帰りました。へへへ。
posted by KATAYAMAC at 06:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | Diary

09/07/22

■ 雨の日と月曜日は


Rainy Days and Mondays - Paul Williams



雨の日と月曜日は、いつも憂鬱だった。

しかし今はそうでもない。
ブルーになってみるのも悪くはないものだ。

あの時の雨の日の憂鬱さや、月曜日の朝に感じた憂鬱さを
思い出してみるも乙なモノである。

* * *

私の家の玄関には、9本しか立てられない小さな傘立てがあるのだが、
そこに、もう捨ててしまえばいいのにと思われるほどの
茶色味がかった、どうでも良いように見える透明のビニール傘がある。

でも私にとってはどうでも良くはない。
他の新しいビニール傘なんかとは比べ物にならない、
大切なビニール傘である。

もう差すことはできなくなってしまったが、
いつまでも、いつまでも玄関に飾って置くだろう。

あの時の雨の日の憂鬱さや、月曜日の朝に感じた憂鬱さを
思い出させてくれるから。

今振り返れば、幸せだったんだなぁ。あの頃は。

posted by KATAYAMAC at 04:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | Essay

09/07/18

■ 「写」があっても「真」のない「シャシン」

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Block tanker. 090613


名古屋にある金城埠頭でのショット。
道路を遮断するかのように、タンカーが入港してきた。
思わず道路の真ん中まで駆け寄り、
しゃがみ込みながらシャッターを押した。

この後に「何してんだろ?オレ?」と、
近くを歩いていた家族連れに、
不思議そうに見られていたことに気付いた時に思ったが、
他人の目を気にしてちゃ、良い写真なんて撮れないと考え直した。

でも、それでこのシャシンかよ!
ん〜、なんだかなぁ〜。

* * *

「写真」の定義なんて偉そうに語れないし、
よくわからないけど、自分が撮っているのは、
なんか「写」があっても「真」がないような気がする。
だからいつも自分が撮ったものは、
カタカナ表記の「シャシン」と書いてます。

『自分自身をさらけだしてないから、嘘っぽいのかな?』

なんて考えたりもするんだけど、
自分はデザイナーだから、自分自身をできる限り排除した、
『ガチガチに作り込んだキレイな「絵」が見たいんだろうなぁ。』
と、思ったりもしています。

カメラマンや写真家と呼ばれる方は、
どのような姿勢で撮ってるんだろう?
もちろん人それぞれで、いろんな意見があるだろうけど。。。
でもほとんどの方は、語る事が好きじゃないんだよね。
タイトルやキャプションをつける事すら嫌う人もいるしね。
そういう人は背中で語ろうとするから、
こちらも写真を撮る事に対して、
本気にならないとわからないよね。




6月13日の太陽が照りつける最中、南西に向かってタンカーを撮影。
posted by KATAYAMAC at 05:31 | Comment(0) | TrackBack(0) | Diary

09/07/11

■ Clair de Lune


Debussy, Clair de lune (Twilight soundtrack? piano music)


さぁ、もう寝よう。今日は働き過ぎだ。
ドビュッシーの月の光を聞きながら眠りに落ちるよ。

2009年の現在(いま)に、1890年頃の曲を、
何の違和感も抱かずに眠りに落ちることができるなんて。

もう120年近くも昔の曲なのに。

そして、このような21世紀初頭のビジュアルで表現しても、
さらに新しさを発見することができるなんて。

これからも次世代まで受け継がれてゆくのであろう。

その未来では、どんな表現者と聞き手が存在してるんだろう。
そんな事を想像しながら眠りに落ちるよ。
posted by KATAYAMAC at 05:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | Music