06/08/20

■ 文字の信用・信頼性

うまく文章にできるかどうかわかりませんが、最近特に感じる事を久しぶりにまた語っちゃいます。

文字を見る機会といえばテレビやケータイ、またはパソコンのようにモニタを通して触れる事が多い昨今ですが、このテレビもケータイもパソコンも「形になって残る活字」でもなく「誰にでも簡単に使うことができない写真植字」でもない。すべては誰にでもお金を払えば使うことができる「フォント」が使われている。

昔話になってしまうのだが、1980年代まではパソコンやケータイなんてものがここまで普及していなかったので、文字といえば誰にでも使えるものでもなく、ほとんどの方が「活字」を目にしていた。新聞や本(雑誌・文庫本・マンガetc)であり、テレビももちろん含まれる。この当時のテレビや本に使われていた文字はすべて、写真植字といわれる誰にでも気軽に使えるものではなく、ある一定の職種の方々しか使用できないものであった。新聞だけが昔から変わらず「活字」が使われている現状だ。

あ。何が言いたいかいうと、「昨今の活字離れ」なんて話はではなく、タイトルになっている「文字の信用・信頼性」についてなんです。

「昨今の活字離れ」についてはコレを参照
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%BB%E5%AD%97%E9%9B%A2%E3%82%8C 
何を議論したいのかが不明。単なる懐古主義なのか?

あー、また横道にそれるとこだった。まだまだ語っちゃいますよー。
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posted by KATAYAMAC at 05:42 | Comment(1) | TrackBack(0) | Font