15/09/07

■ この書体の未来。

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Font : COM4t New Japanese Typeface. Font Name "KMR4t" (Under Construction)


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街に出て、溢れかえる広告物を目にすると必ずある文字たち。あらゆる書体で表現されていて、私のような書体を作成している身には、とても楽しい。そして様々な思いに耽ることができる。

以前は「この書体ならこう表現するのはどうか?」とか「このロゴならこうしたらどうか?」とか、その書体で広告物を脳内でデザインすることを考えていた。
今でもそう思う癖がついているのでしてしまうが、最近は「この書体を自分の書体にするとどうか?」とか「このロゴを自分の書体にするとどうか?」と、グラフィックデザイナーとしてではなく書体デザイナーとして脳内変換していることに気づいた。

看板を見て変換している時は「離れて見ても読みやすいか?」とか、本屋で単行本の装丁を見て変換している時は「もう少し情緒があっても良いのではないか?」とか、ポスターを見て変換している時は「やっぱりパンチ力(インパクト)がないかな?」とか、いろんなことに想像力をフル活用している。

そうしてる時間はとても心地よい。この書体が完成していろんな人に使ってもらえて様々な広告物に使用され皆の目に触れる、「この書体の未来」。ただ夢見てるだけなのだが、未来を想像することは心地よい。そして書体開発の原動力は、「書体の未来」を夢見る力にあると言っても良い。


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15/07/26

■ 風林火山

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Font : COM4t New Japanese Typeface. Font Name "KMR4t" (Under Construction)



いやはやまたまた放置プレイしちゃったよ。また半年ぶりの更新になっちゃいました。。。
もう定番化してきそうでヤだなぁ。って自分のことじゃん!

この前フリ飽きてくると思うので、どんなに放置期間が長かろうともうしないことに決めました。半年だろうと1年だろうと放置プレイしたって「またまた放置プレイしちゃったよ」って書かないゾ! って放置プレイ前提かよ!

そんなことはさておき、今年のはじめに「清く正しく美しく」でアップした和文書体を作成してるって話を書いたのですが、その書体作ってたらもう一個違う書体も作りたくなってきて、今度は楷書を元にした書体を作りはじめています。前回のは隷書を元にしていて、今度のは楷書。これを同時並行して作っていると、中学生の頃に書道をやってたことを思い出すんですよね。

上の「風林火山」は、筆ではなくペジェ曲線で作ったデータを半紙の写真にコラージュしたものなのですが、自分の気持ちとしては、中学生の頃と同じく筆で文字を書いている気持ちと同じなんです。。。「え? 文字っていうことが一緒なだけで書道と書体とでは違うじゃん!」と思っちゃいますよね? いや書道と書体を同等に扱うとかそういう話ではなくて、書道をしてた気持ちを大事にしたいだけなんです。「筆で書く大切さ」というか「身体で覚える大切さ」というのかな? 知識だけの「意識」で作るのと、身体だけの「無意識」で作るのとでは違うというのかな? なんかどんどんわかりづらく書いてってますが、簡単に浅く言っちゃうと「頭だけで作るな」と。もっとわかりやすく書いちゃえば、ブルース・リー先生の言葉を借りて「考えるな、感じろ」的な? ちょっとズレてるかな? にゃはははは

とまぁ、こんな感じで和文書体を2つも一気に制作してるので、フリーフォントの更新はまだまだ先になりそうです。これから漢字をたくさん制作していかなければならないですから。もうお坊さんの修行のような日々です。頭も髪の毛がなくなってお坊さんのようになってますし(ピカーン!☆)

今のところフォントもブログも全然更新しない日々が続いてますけども、風林火山で喩えれば、”林”のごとし”山”のごとしで、静かに構えてどっしり構えて動かない感じですが、動き出す時は”風”のごとし”火”のごとしで、すばやく激しい勢いでまた活動しようと思っちょります!



posted by KATAYAMAC at 11:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | Font

15/01/18

■ 冬の海へ

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Font : COM4t New Japanese Typeface. (Under Construction)


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冬の海って誰もいなくていいですよね。
写真や映像で見てると、つい行きたくなります。
で、実際に行ってみると、風は強いし波は荒かったり、何より寒いっ!
「もうゆっくりできないっ! もう帰るっ!」
てなカンジに。。。
だからしんみりぼーっとしようと思っても、凍え死にそうになったりして、
その場にいられなかったりするんですよね。

でも、ほら。こんな音楽があったりすると、あら不思議。
寒さも忘れちゃうくらいに、ぼーっとできちゃいます。




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音楽のある風景 haruka nakamura PIANO ENSEMBLE【Official MV】
https://www.youtube.com/watch?v=N7TkK2joi4I



posted by KATAYAMAC at 21:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | Music

15/01/03

■ 清く正しく美しく


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Font : COM4t New Japanese Typeface. (Under Construction)




ずっとこの書体と向き合ってきた2014年でした。
そして今年もたぶんこの書体のことを一番に考えていることでしょう。
そんな書き出しの2015年になりました。。。
新年あけましておめでとうございます。

このブログもフリーフォントも更新が止まっちゃってるので、復活しないとなぁ。。。と、たま〜にだけど気にはしていたので(たまにかい!)、まずはこのブログからと思い新年のあいさつをと書いているのですが、フリーフォントのことも忘れておらず、最近になってやっとGlyphs miniを買いました。
まだこのソフトの使い方を勉強中なのでいつになるかわからないのですが、いまあるフリーフォントすべてを微調整し、OpenTypeにしたいなぁと思っています。でも、上にアップした和文書体のことしか頭にないので、まだまだ先になるかなぁ。。。

この和文書体を思い付いてここに書いたのが2009年の5月27日。「曹全碑に見える地平」と題してワケわからんことをつぶやいてましたが、ここまで来るのに、あれからもう5年以上も絶ってしまいました。「隷書のお手本とされる曹全碑を見て、脳内に見えた地平をこの目で見たい」と作り始め、この5年間でやっと漢字・平仮名・片仮名・アルファベットの書法というか基礎が決まり、これから漢字を増やしながら平仮名・片仮名・アルファベットの微調整を繰り返していくというところで、この和文書体は完成ではなく“これから”という書体なんですよ。。。
亀のようにのろいですね。。。まぁいつものことですが。。。

あの時見た地平かどうかはもうわからず、
淡い想い出のように美しく消えてしまっているのですが、
たぶん5年前の自分がこの現状を見たら、
想像を越えた地平になっていると思うので、
このまま自分を信じて作り続けようと思います。
「清く正しく美しく」。


* * *


「清く正しく美しく」は安全地帯の曲からです。
何かに打ち込んでいたり、迷いがあったり、
何もできなくなったりしたことがある人には伝わる曲だと思います。
検索すると聞けるかもしれないですね。

posted by KATAYAMAC at 10:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | Font

14/05/12

■ タイムカプセル

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Font : OLDNEW (Free Font)


TimeCapsule.jpg


Essay
タイムカプセル


Essay : 100722
Photo : 070708



絵を夢中になって描いていたあの頃。
今思い返すと、とても充実していたあの頃。

僕は15歳だった。
普段は仲の良い友達とほんのちょっとの悪戯をして遊ぶ、
どこにでもいるような中学生だった。

と言っても友達は多い方ではなかった。
だから彼等と遊べない日は、必ずと言っていいほど、真っ白なノートに向かっていた。
特に夏休みや冬休みに、勉強そっちのけで机に向かっていたことを思い出す。

それは画用紙やキャンバスに描くような絵ではなく、
ラクガキといったほうがいい。
大学ノートやメモ帳サイズのノートに
鉛筆でなぐり書きで描いたような下書きだ。
そして誰かに見せる絵ではなく、未来の自分に見せる絵だ。

その時に思っていたのは、
「今はデッサン力もないし、知識や経験もない。」
「いつか自分が歳をとった時に、今描いているこのラクガキを下地にしたい。」
「そしてその時の知識や経験、デッサン力で、この絵たちを完成させたい。」
そう考えていた。

あれから30年近く経ったいま、そのことをたまには思い出していたが、
「ちゃんと昔の自分に向き合ってみよう。」と、
久しぶりに見てみた。

もうどれもはずかしい絵ばかりだ。
「あの時何を想ってこれを描いているのだろう?」とか、
「これは他人には見せられない内容だな。」とか、
「すごくつまらない絵だ。」とか、
絵そのものは、いまの自分には何も参考になるものはない。
この歳になれば、感じるものや、見ている世界の広さはケタ違いに別物であり、
過去の自分とは別人に成長しており、
この絵たちを下地になんて幼稚過ぎてできるわけがない。
あたり前の話だ。

しかし、過去の自分に礼を言いたくなった。
この100枚近くある、ノートの端が茶色く、すり切れた絵たちを見ていて、
はずかしい気持ちと同時に、あの頃、真剣に何かに打ち込んでいた
純粋な気持ちが沸き上がってきて、込み上げるものがあった。

これは、過去の自分が未来の自分に宛てたタイムカプセルのようなモノだった。
他人には決して理解できる代物ではないが、自分自身だけに理解できる喜び。

まさか自分が描いた絵で涙が溢れてくるなんて思いもしなかった。


posted by KATAYAMAC at 23:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | Essay

13/03/23

■ 頬杖つくあのコ

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Font : COM4t Ascripta (Free Font)


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Essay
頬杖つくあのコ


Essay : 100223
Photo : 100221


頬杖つくあのコ。どこにでもある電車に揺られながら。
お気に入りのカメラを持って、海に行く。

日曜の朝は、時の流れがゆっくりと感じられるから好き。
晴れた日には、窓からこぼれる日差しが柔らかくて落ち着くの。
あの海へは終点まで。冬だから誰もいないの。
ひとりになれたりするから、外をボーっと眺められたりするんだよ。

ある日ね。4人家族が乗ってきたの。その車両には、ワタシとその家族だけになってね。お父さんは新聞読んでて、小さな娘さんを膝の上に座らせながら、新聞記事を指さして小さな声でお話ししてるの。お母さんは隣の一番前に座ってて、座席の上に立ちながら景色を眺める息子さんを抱えてニコニコしてるの。ワタシはその向かいに座って見てたんだけど、とっても幸せそうだった。たぶん小学校低学年ぐらいだと思うんだけど、息子さんの目はお父さんそっくりだし、お父さんに甘えながらべったりくっついてる娘さんはたぶん次女で、あのお母さんが子供の頃はこんな感じでかわいらしい少女時代だったんだろうなぁ。と思って。。。そんなことを想像してたら、アナタの少年時代を知るには男の子。ワタシの少女時代を知りたいんだったら女の子が産まれてくればいいと考えちゃって。。。あ、こんな話イヤよね。ゴメンね。あんまりにも幸せそうな家族だったから、つい。

そう言って、頬杖ついて窓の外を眺めていたキミ。
冬の日差しが淡く照らす横顔を眺めながら、
ボクとキミとの間に産まれてくる子供を黙って想像していた。
とても穏やかで柔らかな空間だったことを、今でも鮮明に覚えている。


* * *


あれから数年が過ぎた、冬の晴れた日曜日。

頬杖つくボク。誰もいない電車に揺られながら。
お気に入りのカメラを持って、海に来た。

あのコの面影を追いに、ひとり。



posted by KATAYAMAC at 03:57 | Comment(3) | TrackBack(0) | Essay

12/11/18

■ 揺らぐリフレクション

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Font : COM4t Drify Light (Free Font)


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Wave Reflection.



今日はいい夢を見た。
それを忘れないうちにここに書いておこう。

でも良く「夢の話はつまらない」と言われる。
何故そう言われるのかは、
たぶんみんなその人の日常(ドキュメンタリー性)を
知らず知らずのうちに求めていて、
その人のありのままの日常を垣間みることを求めているからだと思う。
そしてどんな些細なことでも「日常」に置き換え、
粗探しをしているかように探っている。。。

このような感情は、はっきりいって
誰でも以っている「人のいやらしい感情」のひとつだ。
そんな感情を前にして、その人の日常ではない夢の話をしたって、
夢は反意語になる「フィクション」になるので、
いやらしい感情を抱いている人には面白くもなんともない。
また、見せる側はありのままの「ドキュメンタリー」を見せるのには抵抗がある。
だから日常を見せていたとしても「フィクション」を
知らず知らずのうちに織りまぜているが、
見る側はその「フィクション」を見抜き、「ドキュメンタリー」だけを見る。。。

みんなこんな気持ちになっていることに気付いているよね。
だってみんなゴシップ大好きじゃん!

これはブログなどのネットだけに限った話ではなく、
テレビを筆頭にしたどんなメディアでも同じである。
観客は同じ「人間」なのだから。。。

ボクはそんな感情に付き合ってはいられないので、
前置きはそのへんにしておいて、本題の夢の話へと行くことにしよう。


* * *


「揺らぐリフレクション」


とてもキレイな水面が目の前に広がってきて、ゆっくりと、やわらかく、やさしく揺らいでいるのだが、その水面が今度は横にゆっくりとスライドしていき、そのスライドしていくスピードがだんだんと速くなってゆく。そしてその水面だと思っていた揺らぎが光だったことに気付くと、今度は虹の帯のようなところに立っていて、寝そべってみたくなり身体を横にすると、今度はプールの中に入っていってしまう。「息ができなくなる!」と思うがそんなことはなく普通に呼吸ができ、プールの水温は冷たくなく常温でとても気持ちいい。煌めくブルーに染まるプールの中を自由に泳ぐことができて、とても気持ちが良かった。それで水面に顔を出した時点で目が覚めた。。。

と書いてみたが、言葉のみで伝えることが難しい。。。すごくキレイだったんだ!
ん〜、、、本題より前置きのが重要なエントリーになってしまった! なんじゃソレ! あはは。

あ、それと夢判断とかしてドキュメンタリーを求めないでね! ふふふ。



posted by KATAYAMAC at 07:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | Diary

12/10/01

■ 掴めない感触

AkinoFuku.gif
Font : COM4t Nuvu Regular



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Akino Fuku Art Museum #01



前回ここに書いたのが5月初旬。それから5ヶ月も更新が途絶えてしまった。。。
ブログを長年やっている方はわかると思うが、こうした放置プレイは良くあることである。ことツイッターやフェイスブックが出現してからはさらにブログの放置プレイが多くなったのではないだろうか。みんなSNSに書き込むあまり、自分のブログに書き込むことがなくなってくるのだと思う。かくいう私もそのひとりで、最近はツイッターやインスタグラムに投稿して、それだけで自分の気持ちを放出して満足していた。
それともうひとつ理由があって、今年になってから和文書体の作成を本格的に取りかかっていて、気持ちがこの書体一辺倒になり、ブログの存在を本気で忘れてしまっていたのも相まって、ブログを5ヶ月も放置してしまっていた。。。
「これからはこのようなことはないようにします。」
と言いたいところだが、たぶんそれは約束できないだろう(笑)。
また逆に急に更新頻度が上がる可能性だってある(笑)。
この気まぐれな私がやることだから。。。


* * *


さて、放置プレイの言い訳を長々と書いたところで本題に。
まだ暑い夏が来る前の5月27日に、
浜松市天竜区にある「秋野不矩美術館」へ行ってきた。

この「秋野不矩美術館」を設計したのは、藤森照信氏と内田祥士氏。
藤森照信氏のことは、どこの本屋へ行っても必ず建築コーナーには藤森照信氏の名前を見ることになるので、建築に関心のある方は見たことがあるだろう。写真を見る限り私がこれまで見てきた建築物とはあまりにも違い、カテゴライズしにくい建築物だと思っていた。またいつかは実物を見てみたい、体感してみたいとも思っていた。それがようやく彼の傑作であると言われる「秋野不矩美術館」へ行くことができた。


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posted by KATAYAMAC at 22:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | Architecture

12/05/09

■ 聞こえない道で。

Can'thereonthestreet.gif
Font : COM4t Drify Light (Free Font)


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Can't here on the street. 1204??



この前バイクで走っていた時に、10年くらい昔に見た光景を思い出したので、
ここにエッセイ風味で書きとめておきたくなった。


* * *


聞こえない道で。


Photo : 1204??(何日だったかな?)
Essay : 120509


あれはこのくらいの時期で、新緑が眩しい雲ひとつない快晴の昼下がり。とてもきれいに整備された真新しい二車線の道で私は車に乗って信号待ちをしていた。ここは街はずれで近くに赤十字病院があり、交差点の向こうに赤十字病院前のバス停がある。私は何気にバスが乗降するために停車しているのを見ていた。信号待ちだからほんの数分だろう。そんな数分の事なのに、十数年経った今でもとても心に残っている光景を目にした。

信号待ちに目にしたと書いたが、正確には信号が赤になる手前から前方を走るバスを気にしていた。バスは信号が赤になる前に交差点を過ぎ去り、私は交差点の手前で赤になったので、信号待ちの状態になった。ハザードを点けながら乗降させるためバスは停車し、何人かが降りてくる人々を見ながら待つ3人がバス停にいた。ひとりはボストンバッグぐらいあるカバンをかかえた腰が曲がったおばあさん。もうひとり、いやふたりといった方がよさそうなカップルがいた。降りる人々はたぶんほとんどの人が病院へ向かうのだろう。その人達が全員降り、その3人が乗る番になった。おばあさんがボストンバッグぐらいあるバッグを持とうとすると、そのカップルの男がさりげなくバッグを持って、おばあさんに「どうぞ」と手招きしている。おばあさんは頭を下げ「ありがとうございます」と言っているようだった。その男の行動が実に様になっている。背は180センチくらいだろう。髪はサラサラヘアーでジーンズ姿の笑顔がさわやかな青年。その横でニコニコ顔で見守っているかのような彼女は、細身でロングヘアーの女の子。赤色のロングスカートに白のブラウスで、スカートにあわせたかのような赤のメガネをかけていた。

私は車内でカーステを聞いているから外の音はほとんど聞こえていない。ましてや交差点の向こうにいるバス停での人の会話などまったく聞こえていなかったが、その3人の会話が聞こえてくるような光景で、とてもほほえましいやりとりであった。「なかなか良い若者もいるもんだな」と老人になったような気分で上から目線になりながら偉そうに見ていたのだが、おばあさんが乗った後、すぐにそのカップルも乗り込むのだろうと思っていたのだが乗ろうとしない。どうも彼女は見送りのようだ。何か会話をしているようだが、よく見ると口を動かすのみの会話ではない。手を巧みに使っている。「あ、手話だ」とすぐに気づいた。彼氏は口を動かしながら手話をしているが、彼女は口を動かさずに手話をしている。たぶん聞こえないのは彼女だけのようだ。そんなふたりを見ているとバスが発車しようといている。私は信号が青に変わり、バスの後ろについてバスの発車待ちになった。ふたりの顔がはっきりとわかるくらいに近づいたから見てみると、笑顔なのだが少しさびしそうにも映る。いくつかの手話をしているが、会話は聞こえないし私にはほとんどの手話がわからない。だが、最後に交わしたふたりの会話だけは、はっきりとわかった。というかそれだけは知っていた。

「好きだよ」の手話。彼氏がその手話をした後、とてもうれしそうに彼女が「好きだよ」の手の動きをする。そして彼氏が乗り込みドアが閉まる。彼女はさっきのうれしそうな笑顔から一転してさびしそうな顔に変わり手を振る。3歩ほどバスを追うように歩くがすぐにやめ、手を振っていた。私もバスを追うように彼女の前を走り去る。バックミラーに目をやると肩を落としたかような佇まいで、ポツンとひとり立っていた。

この光景はたぶん1分間もないだろう。とても短いショートストーリー。でもいつまでも心に残る映画を見たかのようであった。主役であるあのカップルに最優秀男優賞・最優秀女優賞をあげたいし、助演女優賞もあのおばあさんにあげたい。私が最初に気になったのは、あのおばあさんがいたからだ。

そして何よりこのシチュエーションが良かった。口だけの会話が成り立つカップルのやりとりであれば、私には聞こえない。しかし、逆に聞こえないはずの手話であったから、聞こえない私からその会話が聞こえた。たったひとつの言葉のみ理解できたのだが、それも良かったようにも思える。

道路の脇を桃色のツツジが固める中、ゆっくりと車を流した。
空はやさしい水色に近い、春らしい色。風はさわやかだ。
そして私はカーステから聞こえてくる音楽を消した。
無音ではないが音のない世界を想像する。
少しだけでも、彼女のさびしさを噛みしめてみたくなった。


posted by KATAYAMAC at 05:55 | Comment(0) | TrackBack(0) | Essay

12/04/08

■ トリミングしながら不在になってゆく建築

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Font : COM4t Sans Medium (Free Font)


P1014565.jpg
Toyota Municipal Museum of Art #01.



谷口吉生氏設計の豊田市美術館へ。
谷口吉生氏の代表作のひとつに数えられ、
日本の美術館でもトップクラスに数えられるほどの名高い建築物。
ここへは何回も来ているけど、
シャシンを撮ってブログにアップするのはこれで2回目。
それで昔のデータを見たらこんなテキストが残っていた。

* * *

愛知には豊田市というトヨタ王国があることはご存じだと思いますが、ここにはあの建築家・谷口吉生が建てた、豊田市美術館があるんですよ。ボクが今まで美術館巡りをした中ではかなり上位に入るところです。
美術館自体の印象は、両側が石垣になっている坂道を進むと、前方にスロープがある壁が見えてきて、その壁を目で追うように進むと全貌が現れるという視覚のドラマがいい。そのスロープを上がっていくと、2階の屋上に設けられた池が見えてくるという仕掛けで、美術館の内部に入る前に是非見て頂きたいですね。

* * *

過去の自分はこんな視点で見てたんだ。
でも今の自分はまた違った視点で見ていた。
「トリミング」と「不在(absence)」について考えていた。

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posted by KATAYAMAC at 03:25 | Comment(2) | TrackBack(0) | Architecture